| 第1回 |
「トトメス3世の生い立ちと王位奪還」 |
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トトメス3世像
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
トトメス3世はハトシェプスト女王の直接の子供ではありませんが、夫で当時のファラオであったトトメス2世とイシスという第2王妃との間に生まれた子供です。ネフェルゥラーという、ハトシェプスト女王とトトメス2世の間に生まれた王位継承権を持っている娘、トトメス3世にとっては異母兄妹と結婚するんですね。これで王になる権利を持つのですが、考えてみると大変理想的です。父親が同じで、ファラオの血筋を持ってますから、最強のカップル。実はハトシェプスト女王は非常に野心家で、夫であるファラオ、トトメス2世が病弱で気が弱く、あまり権力を行使したがらないのをいいことに…といってはヘンですが、それをうまく利用して、ほとんど自分の力でエジプトを動かしていたんですね。 |
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ハトシェプスト女王像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
それにしてもともかく、トトメス3世は父親のトトメス2世が死ぬまではじっと黙っていて、死後王位につくのですがまだ子供だったんですね。それをいいことに、最初ハトシェプスト女王は摂政、後ろ盾としてやっていたのですが、即位2年目、トトメス3世が小さい間にハトシェプスト女王は自分が王だと・・・それまで摂政だったのに表に出て、ファラオだと言い出した。それからなんとトトメス3世の治世23年までハトシェプスト女王がずっと王でいたのです。
ですからハトシェプスト女王が23年目に亡くなると一気にその恨みというか、悔しさを出します。王位奪還はもしかするとハトシェプスト女王を暗殺することによって行われたのではないかと疑う学者もいますが、今はそういう情報は出ておりません。
トトメス3世はないがしろにされている間、何をしていたがというと、軍隊に入って守られていたんですね。ですからハトシェプスト女王はトトメス3世を殺したかったのでしょうができなかったんです。ハトシェプスト女王は平和主義者で22年間戦争を1回もしていませんから軍隊はいらだっていました。軍事予算ももらえない、戦争に行けない。唯一交易の時に護衛に行く程度でしたから、ハトシェプスト女王が亡くなると一気にトトメス3世の思惑と軍の思惑が一致して、ダーッと爆発するのです。もうすごいですよ、それは。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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