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吉村作治 エジプト博物館
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第3回 「女王の政策」 12/19〜
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ハトシェプスト女王像
(カイロ・エジプト博物館蔵)
ハトシェプスト女王は王朝時代の3000年間で唯一、女性でありながら公的にファラオになった人なんですね。そういうことを聞くと、なんと男勝りの力の強い、人を人とも思わない、やんちゃな人だったというようなことを思うんですけど、実はハトシェプスト女王の政策を見ると、全く違うことがわかります。
第18王朝というのは、戦争に明け暮れていました。このあとのトトメス3世なんかは17回も外国に戦争を仕掛けていました。しかし、ハトシェプスト女王は一度も戦争をしていません。女性だから。そういうことではなく、きちっとした政策を持っていたからなんですね。政策とは何か。まずこの時代の戦争がどういう意味を持つものかということを冷静に考えてみると、交易の一種なんです。戦争を仕掛けて相手を倒し、そこから物産や人を連れてくる。一度やっつければ、毎年毎年ずっと、朝貢というみやげ物や貢物を持ってエジプトにやってこなければいけなかった。まあ、江戸時代の参勤交代のようなことですね。
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プントへの遠征隊
(ルクソール西岸・
ハトシェプスト女王葬祭殿)
ですから、戦争の真の目的は、相手から物をただでもらう、ただといっても戦争で兵隊が死にますから、"兵士の命を原価にしてものを買う"などと言い方をしています。そういうことで、どうせ物をもらうなら平和的にもらった方がいいだろうというのが、ハトシェプスト女王の考えです。これは合理的ですね。
金を外国から輸入して加工し、製品にして売る…日本みたいですけど、加工貿易が得意でした。パピルスという草をうまくそいで紙にして近隣に売ると10倍ぐらいになって戻ってくる。それがディール・アル=バハリの葬祭殿の壁画に書かれている。そのほか、カルナック神殿のハトシェプスト女王のコーナーのところに南のヌビアとも交易を積極的に行ったことが書かれている。ヌビアは、3000年の歴史の中で絶えず攻め入って人から金から何から持ってきちゃってたところですから、そういうことで考えても政治家として、なかなかすごかったことが伺えます。
そのほかに、建築も行ったのですが、新しいものを作るのではなくヒクソス、特にデルタ地帯の壊された神殿をきれいにして、アメン神殿にしていきながらアメン神をエジプト全体に広めたということも特別な仕事でした。そのためにアメン神官から絶大なる支持を受けて女性でありながらファラオでい続けたわけです。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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