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ネフェルゥラー王女を抱くセンムト (カイロ・エジプト博物館蔵) |
センムト…。聞いたことがありますか?このセンムトという人は不思議な人で、一体誰の子か、どこから来たのか全くわからないのです。ある日突然ハトシェプスト女王の隣にすっといた。女王と上手に付き合ったためにいつの間にかナンバーワンになってしまった。とんとん拍子に出世したのでしょうね。女性に気に入られるような何かがあったのかもしれません。
このセンムトはまず、ハトシェプスト女王とトトメス2世の間に生まれたネフェルゥラーという王女の養育係になりました。
王女とか王子は王としてどのようにするのか、特に王女の場合、王妃となるのが前提ですから、その教育を受けるわけです。たとえば文字が書けるようになるとか、エジプトの周りの国の状況を知るとか、挨拶の仕方や神への礼拝の仕方などを徐々に勉強していくのですが、そういうことを教えていったのです。その後建築大臣とかアメン神の宗務大臣など、20くらいの国の要職を受けるのですが、一番の業績は、ルクソールのナイル川をはさんだ西岸に葬祭殿を作ったことでしょう。この葬祭殿の建設の主任をやっていた時がもっとも華々しかった。この葬祭殿、今も残っていますがすばらしいものです。まるで近代建築のような建物です。その設計、施工の監督をやっておりまして、ついに女王の葬祭殿の下に自分の墓を作ってしまうんです。さらにその葬祭殿の奥にあるハトホル神殿のところに自分の姿を彫ってしまった。これが女王の知るところとなり、女王は激怒。神官のくせになにごと!というところでしょうね。そうして公務をはずされ、失意のうちに死んでしまいます。 |
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ハトシェプスト女王葬祭殿 (ルクソール西岸) |
また、ネフェルゥラーがハトシェプスト女王の治世15年ごろに死んでしまいます。トトメス3世と婚姻を結び、トトメス3世が次の王として返り咲く準備をしようというときでした。そのために養育係としての権威がなくなり、仕事がなくなってしまったのではと、私は考えています。
どちらにしろ、センムトはぱっと咲いてぱっと散った、歴史のあだ花のような人だったのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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