| 第1回 |
「ハトシェプスト女王の生い立ち」 |
12/5〜 |
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ハトシェプスト女王像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
ハトシェプスト女王…。いいにくいですね。大変有名な女王です。とにかく、古代エジプト王朝史3000年の間で女性で正式にファラオになった唯一の人です。
古代エジプトでは女性はファラオにはなりませんでした。これは女性蔑視ではなく、役割分担。男がファラオになり女性は王妃。王妃の中でも一番力のある人を正妃といいまして、いわゆるファーストレディで、全エジプト女性の代表ということです。女性の代表とはすばらしいことで、決して女性差別ではありません。もうひとつすごいことがあって、女性が王位継承権を持っていました。そのため、男子…長男に多少問題がある場合には長男を王にしないで他から王にふさわしい人を選ぶことができたのです。この代表的なのがハトシェプスト女王のお父さんでした。ハトシェプスト女王は血筋がちゃんとつながっていますが、お父さんはその前の血筋とはつながっていない…。ちょっとややこしいですね。なおかつ夫となったトトメス2世はハトシェプスト女王の異母兄弟でした。この二人が結婚して18王朝の最盛期に向かうのです。 |
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トトメス3世像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
ハトシェプスト女王というと、男勝りで戦争を盛んに拡大した人のように思われていますが、全くそうではなく、ファラオになるために大変な苦労をした人でした。夫のトトメス2世は病弱でほとんど政治をしていなかった。そこで、共同統治によって実際の政治を行ったのです。やがて病弱のトトメス2世が亡くなると、トトメス3世(トトメス2世と別の女性との子供)を立てるのですが8歳と若かったため、自分が表に出て王になってしまった。すると女性が王になるのはおかしいという声が上がり始め、それを抑えつけるため、神殿に、父であるトトメス1世から自分が王になるように言われた、したがって、自分は正当な王、ファラオであるということを書いて説明しなければならなかった。大変な社会情勢だったのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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