| 第3回 |
「アメンヘテプ1世の新政策」
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11/21〜 |
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アメンヘテプ1世頭部
(ルクソール博物館蔵) |
アメンヘテプとは「アメン神が喜ぶ」という意味です。ですからアメン神がこのころから台頭していたということになります。アメン神とはもともとテーベと呼ばれるエジプト新王国時代の都の神ではなく、もう少し南の、今のアルマントのあたり、ヒエラコンポリスのちょっと北のところの小さな町の神様でした。この神様がいつの間にか新王国時代になるとメンチュ神の神政をとって戦う神様になり、王家の後継者になる。王様の名前にまでなってしまうという、他の神から見れば恐るべき神様ですけども、このアメン神が王家のオーストライゼーションを受けてエジプト全土を明かす。すなわち国家神なんです。
とはいってもデルタ地帯の方はまだ、ラー神が強かったんで、アメンラーという集合になって、賢い神官がいたりしました。
アメンヘテプ1世は、跡継ぎとして何をしたかというと、守っているだけではだめだと、北はシリア・パレスチナ、南はヌビアに軍隊を送りこむ。そのためには国境守備隊では弱いんじゃないかということで軍の組織を完全に強化し、戦うエジプト軍というのを作った。これはその後のエジプト全体を広げる第一原因となるわけです。 |
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| 王家の谷 |
またお墓と葬祭殿を別の所に作った。それまではお墓の前の広場をちょっと整備して、旗なんか立てて葬式をしてたのですが、そうすると盗掘してください、というようなもんですから。王家の谷というのを作って、王様の墓場にしたのです。
山の向こう。今でこそ車で5〜6分のところですが、当時は歩くとかなり大変な場所でした。狼やなんやらがいっぱい住んでいましたから。自然の要害のところに墓を作ります。そして、自分もそこに安置されるのですが、現在はどこにあるのかわかりません。
末期王朝時代の「トトメス1世の墓は安泰なり」という記録が残っていまして、つまり、埋葬されてから1500年ぐらいは大丈夫だったということでしょうね。この記録は1881年に発見され、今はカイロ博物館にあります。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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