セケネンラー2世というのはなかなかの英雄でありまして、今でもカイロ博物館に行きますと、異様な感じのミイラが一体あります。入ったらすぐ。ひゅーっと引き込まれそうなほど異様です。顔中キズだらけ。ヒクソスの解放戦線でたたかれ、頭部のキズがもとで戦死したといわれていますから。
もっともそのころの戦争の記録は残っていません。そのためこのミイラの傷口から戦争を復元しているのが現状ですが、実際にオーストリアのピータック教授などはヒクソスが完全に武力制圧したはずなのに、アヴァリスのある一角がめちゃくちゃに壊されている。これは相当壮絶な戦闘があったのだろうと最近の報告で言っています。ヒクソスの時代ってあまりよくわからないのでみんないろんなことを言ってきたんですね。しかしこのピータック教授の発掘によって、記録も含めてかなりな部分が出てきました。 |
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エジプト地図 |
それによるとやはりヒクソスとしては三代、100年も続いたために士気が緩んできた。それに目をつけたセケネンラー2世とその一族は勇猛果敢に一気にテーベから約1000キロもをだーっと攻め込んでいって、どんどんなぎ倒し、ついにはアヴァリスまで攻め入ったようなんですね。その時、エジプト側にも連戦連勝のおごりがあったんでしょうか。
セケネンラー2世は、100年にわたって見てきたヒクソスの武器、戦車とか鉄剣などを工夫して、自分なりに作ったものを携えて攻め込みました。相当に壮絶な戦いだったんでしょう。
「講釈師、見てきたような嘘をつき」などといい、私も今から3700年前に見たわけではありませんから、わかりませんが。
こうして、先頭を立って行ったのですが、油断してたんでしょう。矢が当たって…ミイラに矢を抜いた痕があります。かつては矢じりが残ってたとさえいわれていましたが、そういうことはありませんでした…。セケネンラー2世は壮絶に死んだのです。
この悔しさ、もちろん王が死んだわけですから、エジプト側は「さぁ、これから」という気持ちになります。一方、ヒクソス側もセケネンラー2世を殺したことで目覚めてきた。こうして、いよいよテーベを中心とした、セケネンラー2世一家とヒクソスの最後の戦いが始まるのです。
これは大変大きなテーマなので次回皆さんとゆっくり楽しみたいと思います。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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