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吉村作治 エジプト博物館
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第1回 「ヒクソスとは」 10/3〜
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メンフィス
ヒクソスとは、エジプトの歴史において最初の外来の襲撃、日本でいうと蒙古襲来みたいなものです。
エジプトは平和な所でした。民族の移動があったのは、エジプトより緯度で10度ぐらい上の所、今でいう、トルコとか、シリアとかイラク、ペルシャ、イランあたりですかね。文明の大通りという所です。エジプトはこれらの地域から下がった所だったので、あまり血生臭いことはありませんでした。絶対的な力を持っているし、国も全体として200万平方キロぐらいある大きな国で、周辺の国から見ると巨大すぎて手をつけることができないと思っていたのが、今から3700年ぐらい前に突然として今のレバント地域、レバノンとかシリアとかの砂漠で力を持っていた遊牧の人たちが、そろってエジプトに攻め入ったのです。
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エジプト地図
当初、回りの小部族は「何をやってんだ、一気につぶされるぞ」などと思っていたのですが、驚いたことにあっという間にエジプトの当時の都、メンフィスまで攻めいってしまったのです。裏をついたというか、虚をついたというか、あっという間にエジプトはヒクソスの一部族によって占領されてしまう。ヒクソスもそんなにバカじゃないので都にい続けるということはしなかった。すっと引いて自分たちの安全な場所、すなわちデルタ地帯の真ん中あたりにアヴァリスという街を作り、そこを中心にエジプトを支配すると同時に地中海のクレタ島とか、ロードス島といった小アジアの半島の諸部族や西アジアの部族とネットワークを組んで、あたかもエジプトを自分たちが支配してるかのごとく振舞っていました。
片方ではエジプトに対し、「いつでも攻め入るぞ。エジプトの独立性を保つから、代わりに税金を納めろ」というようなことをやっていたのです。支配の究極の図というのは、そこの地域住民から税金を取る、農民から年貢を取るということですから、そういう面では小さな部族が一気に大きなところに入った時の知恵を使っていたわけです。
そういう形で100年近く、エジプトを支配したというわけです。エジプトはもう、びっくりしちゃうわけですね。やっと治まりかけていた分裂が、外国の侵入によって水泡と化してしまったのですから。さて、それからどうなるでしょうか。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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