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アメンエムハト3世像 |
第12王朝といいますと中王国時代の花です。何事にも始まりがあれば終わりもあるということで、アメンエムハト3世が約50年というあまりにも長い間治世を行ったことにより、いろんな障害がでてきます。
大体、権力者が長く在位していると側近政治になってきますね。人間年をとるとめんどくさくなりますから、側近の言うとおりにしてしまうのです。そして側近がどんどん腐敗してだんだんだめになる。しかし、トップにいる人はなかなか気がつかないということになっていきます。
というようなことで、アメンエムハト3世はアメンエムハト4世と共に共同統治を始めます。このアメンエムハト4世は共同統治を入れて14〜15年しかファラオの座にいませんでした。もっと極端に、単独での王だった時代はなかったという人さえいます。私は4〜5年はあっただろうと考えていますが、文字記録がないんです。アメンエムハト3世にしても、本体の文字記録はあまりなく、はっきりしているのはシナイ山にトルコ石を取りに行ったことです。記録が毎年続いていて、ある年からぱったりとその記録がなくなるので、この年で終わりだろうということが確定するのでが、アメンエムハト4世はそのシナイ山のトルコ石の鉱山にも記録がなく、一体どんなことをしたのかということがはっきりわからないんですね。 |
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年表 |
最後はなんとなくだらしない形で終わって、セベクネフェルという後継者がいたといわれているのですが、これも記録がないんです。ですからセベクネフェルという女王は3年間即位していたとか、ファラオであったとかいわれていますが、証拠がないということで、事実上はアメンエムハト3世で中王国時代、第12王朝時代は終わったと考えるのが一番いいと思います。
こうして中王国時代、第12王朝は終わったのですが、どういう形でかといいますと、西アジアの王から絶えず侵略があったんですね。実際、第15王朝からはヒクソスの支配に入るのですが、第13王朝、第14王朝というのは一番短くて80日でダメになっちゃうファラオがいたぐらいですから、地方の豪族が力を持つ時代になってくるんですね。それがいつの間にか外国の征服民によって支配されるようになってしまい、だらしのない形で終わってしまうのです。
そういうわけでアメンエムハト3世が中王国時代の実質的な最後の王といって間違いないでしょう。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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