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ユーセフ運河 |
ファイユームを開拓するというのは大変重要な政策です。
アメンエムハト3世は大成功しました。もちろん父親のセンウセルト3世からずっと引き継いだ大事な事業なのですが、一気に大きくしたのです。このポイントはカルーン湖がだんだん小さくなっていったことです。湖が蒸発する一方で小さくなっていった。水が少なくなれば、農地も小さくなり、収穫量も減る。しかし、人口は増えていく…。どう解決すればいいかということで、センウセルト3世は運河を造ったらいいのではと考え、ナイル川の中部の、今でいうアシュートというところからずーっと運河を造り続けてきたのです。
運河を造るということは大変なんです。ピラミッドを造るより大変なことで多くの人が死んでいきました。ピラミッドと違い、ただ掘るだけですから楽しみがない。しかも運河を掘ってできた新しい農地は全部王様の領土。王の直轄領となるのですから、苦労して一生懸命やってできたものの分け前がもらえない。しかも運河を造ってもあの世に行ってからの復活再生は望めない…。 |
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| ファイユーム地方の農村 |
土地ができた。多くの人が死んで犠牲を払った。なのに何の得もない…。農民たちは嫌気がさしてきたんです。「こりゃイカン」というわけで同時進行的にピラミッドも造るようになったんですね。やっぱりピラミッドが一番ということです。なぜかというと、ピラミッドを造ることによって王様があの世で復活再生すると共に、参加した人たちも復活再生できる。運河を掘った人には何年かあとにピラミッドも造ってもらいますよ。ということで国民の気持ちを収めたわけです。
この運河、ヨゼフという人が企画し指揮をして造り上げたので、ユーセフ運河といわれ、今も現役で使われています。
このようなことをアメンエムハト3世が成功させたことにより、ファイユームの開拓は完璧になり、農業生産が上がったのです。王様も国家経営がなかなか大変だったのですね。このように、ファイユーム開拓にはいい面と悪い面があったということです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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