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| アメンエムハト1世のピラミッド |
シヌヘ…。これは人の名前です。中王国時代は不安定だったエジプトの状況がようやく安定化した。あの、ピラミッドを造った古王国時代に対して、すごい憧れ、尊敬の念を持つんです。復古時代といってもいいと思いますが、なんでも古王国時代のマネ。あんなことがあったこんなことがあったというようなことを引きずり出して文学にしたりもしました。
復古時代なので、ピラミッドも造り始めます。しかし、今さら石を切って運んで積んで…というのは大変なことです。並大抵なことではありませんから泥で造ることになりました。泥はすぐ手に入りますから。泥レンガを作って積んでいったんです。でも、数からいったら大変なことです。クフ王のピラミッドでも石でいうと300万個ですから、これを泥で作ろうとしたらその100倍ぐらいになるんじゃないですかね。そのために農地がごそっと減ってしまったんです。それは大変だということで、ナイル川とカルル湖という砂漠にある湖との間に運河を作り、ナイルの水を入れて畑を作り直したというほどだったのです。 |
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| ヌビア地方 |
しかし、その花のないところにピラミッド再建という目標ができましたので、自分たちがどうやって生きていくかというアイデンティティが生まれるんですね。そうして自信をもつと外に目が向くようになる。中王国時代になってはじめて、外国が自分たちが思っている以上に力をもち始めたことに気がついたのです。
まず、南。ヌビアというところは虎視眈々とエジプトを狙っているぞ…。次に西。強国がどんどん出てきて、メソポタミアの都市国家はエジプトに友好的な顔をしながら狙ってるぞ…。などなど。
エジプトは力をつけなければ大変なことになると、軍隊を創設し、その軍隊を使って最初は平和的に交易をする。交易をしながら情報を集めたのです。
プントという、東の方のアフリカの北端、今のソマリとかイエメン、アラビア半島の南端あたりに交易団を出すなどして対外交易が始まったのです。
この対外交易を始めたことが新王国時代に大変重要なことになっていくのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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