| 第1回 |
「アメンエムハト1世とリシェト遷都」 |
8/1〜 |
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| アメン神 |
今回は「アメンエムハト1世とセンウセルト1世の時代」というテーマでお話してまいります。
アメンエムハト。名前を見ればアメン神の関係ということがわかりますよね。
アメン神というのは、もともとテーベの神様ではなく、テーベの南のアルマントというところの神様だったんです。テーベにはメンチュという、闘う神様がいて、このメンチュを中心としてエジプト全土を統一していたのです。
アメン神はこのメンチュ神に憧れていたので、お祝いなどでたびたび訪れていたんですね。そうしているうちにメンチュ神と一緒になろう…といっても、結婚するわけではなく、「神の習合」。ひとつひとつも強いけど、合体すればもっと強くなると考えて、メンチュアメンという神をつくり、アメン神がテーベの神としてもぐり込む。こうしてこの時代は力を持っていたのがメンチュアメン神、代表がアメンエムハト1世だったんです。 |
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| エジプト地図 |
アメンエムハト1世のすばらしところは、リシェトというところに遷都したことでしょうね。
リシェトとは、当時の言葉でイチタイウといいまして、上下エジプトが合わさるところ。ふたつの土地の要という意味ですけど、今のメイドゥームとファイユームの間ぐらいの場所です。
ここに都を移しますと、それまでのように、上エジプトでデルタ地帯の人たちがどうも言うことを聞かない、というようなこともなくなり、上エジプトにも下エジプトにもにらみが聞くぞということで力も強くなるんですね。アメン神の調整能力と王宮がエジプトの要のところに移ったために、エジプトはあっという間に安定します。
エジプト全体がざわついていたのが静かになった。これは大変なことです。アメンエムハト1世は自分の息子、センウセルト1世と共同統治をした。この共同統治を始めたのもアメンエムハト1世なんですね。息子と10年の共同統治をしながら王としてどういう政治をするかということを訓練して、外国の勢力に対してすばやい対応をしながら繁栄の方向に向かったのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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