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エジプトの槍部隊
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
対外遠征。これはすなわち国を守るということです。専守防衛なんですね。そのためには外国を攻めなければいけない。同時にエジプト国内にもピラミッド時代のような公共事業をしなければいけないということで、自分の葬祭殿を作るにあたり、そこに小さなピラミッドを密かに作った。土木事業をすることによって、もう一度国を富ませよう、また、流通を良くしようということを考えたんですね。
中王国時代に西岸にお墓ができ始めました。それによって新王国時代から、そのあとの末期王朝までずっと、テーベの西岸、ネクロポリス、大ネクロポリスといわれるような墓場を作ることになったのですが、そのスタートはメンチュヘテプ二世なんですね。このメンチュヘテプ二世は土木事業をすることによってエジプトを富ます。もちろんその前に外国を攻める。中王国時代の、ある意味では前半のピークなんですけど、実はこのピークが逆の意味になってくるんです。 |
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メンチュヘテプ三世像
(ルクソール博物館蔵) |
戦争がはじまると、息子や夫を出すことになりますね。3年経てば戻ってくる…。しかし、『守るための軍隊』のうちはいいのですが、実際に戦闘が行われるようになるととエジプトの兵隊たちが死んでいくわけですよ。多い時で60人から80人ぐらいが戦死したという記録があります。
南で戦死した兵隊の死体を運んできて、自分の葬祭殿の周りに集団のお墓を作った。普通は兵隊はお墓なんか作ってもらえないのですが、兵隊を出してくれた地方の州長たちに対するメンツもあるので、戦死した人すべてを自分の葬祭殿の周りに埋葬するなんてこともしてたのですが、夫や子供を亡くした人たちにとっては、『軍隊なんていいことを言っているけれど、実はそうでなくて命を取ってしまうところだ』という不満になってくる。
しかし、これはまずいということになったところでメンチュヘテプ二世は亡くなってしまうんですね。この不満をどう解消するか。きちっとした手立てをしないまま、メンチュヘテプ三世、四世に引き継がれましたから、メンチュヘテプ三世の時代になると戦争に参加しない、兵役拒否なんてことが起きてくるわけです。メンチュヘテプ四世は、これをどう解決しようかと悩んでいる時に暗殺されてしまうんです。
そういう面ではメンチュヘテプ二世の理想というものが必ずしもその通りには進まなかった。たかだか70年か80年で終わってしまったんですね。ということは中王国の最初のケースとしてはちょっと淋しいのですが、次に出てくるのはなかなかの人ですからエジプトがまた盛り上がっていくのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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