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吉村作治 エジプト博物館
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第2回 「ピラミッドの変化」 6/13〜
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三大ピラミッド(ギザ)
前回にもいいましたように、それまでのピラミッドはとにかく『大きく! 大きく!! 大きく!!!』。エジプトの国力を周辺の国々に知らしめる意味からいっても目標は『大きく、大きく』だったんです。これが仇となり、エジプトの国家財政が悪くなり、経済に危機がきたんです。そこでウナス王は「これではいかん。ピラミッドを存続させるには違う形を考えなければ」と構造改革というか、財政改革を考えます。そしてまず、支出を小さくするためにピラミッドを小さくしたのです。しかしそれだけではみんなが納得しないということで、ピラミッドの中にピラミッド・テキストを書くようになったんです。そして、ピラミッドは低くなっても、全体のエリアが小さくならないような工夫をしました。誰が見ても粗末なものと思われないために、ピラミッドに負けないような大きな神殿を作ったのです。ナイル川の氾濫のくるすぐ傍までのところに上神殿と下神殿を作ったんですね。そしてその間をずーっと長い参道でつなぎ、全体の区域を他のピラミッドに負けないようにしたのです。
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ウナス王のピラミッド(サッカラ)
メンカウラー王の時代にエジプトの経済は、一旦沈滞を起こしたのですが、こうして少し活気を及ぼしました。日本でいうと、バブルの時代がクフ王のピラミッドの時代で、今取り直している時代がウナスの時代といっていいと思います。けれど、逆にいいますと、ピラミッド自体のコンセプトがきちっとしてきた。しかもこの第五王朝の初めからピラミッドだけではやっていけないというんで、もう一つ作る。ピラミッドが完成しても王が生きていると2つ、3つと新しいピラミッドを作っていたのですが、それをやめて、違う目的の太陽神ラーのための太陽神殿を作ろうということになり、ピラミッドと太陽神殿が対等な形でうまい具合にコラボレーションして古代エジプトの繁栄を支えたんですね。そういうことではピラミッドが小さくなって支出を抑えたといえども形としては2つの建物ができて大きくやっているということで、外国から見ればエジプトが弱くなったという感じにはならないんですね。そういう意味では第五王朝の王様たちは非常にうまく国家運営をしたといっていいでしょうね。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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