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階段ピラミッド(奥)
ウナス王のピラミッド(手前) |
ウナス王というのは古王国時代、ピラミッド時代の翳りが見えてきた頃、つまり、そろそろ危ないなあという時代、(もちろん、後の時代から見ての話です。当時はみな一生懸命立て直そうとしてました)の王です。やはりギザにある、クフ王やカフラー王のピラミッド、あの147mもある、華やかなピラミッドの時代に地中海全体に鳴り響いていたエジプトにも翳りが出てきたんですね。しかし、そうすると不思議なことに立て直そうとする人が出てきます。それがウナス王でした。ウナス王が目標にした人物はピラミッドをはじめて作ったジェセル王です。サッカラのジェセル王の階段プラミッドの脇にウナス王は自分のピラミッドを作ったのです。規模としては小さいもので、ジェセル王の最初のピラミッドの3分の2ぐらいですが、ひとつだけ彼は工夫をしました。ピラミッドの形を初期に戻って小さくしただけでなく、何か違うことを考えなければと思ったんですね。 |
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ピラミッド・テキスト
(サッカラ、ウナス王のピラミッド) |
それまでピラミッドの中には一切碑文、刻文というものが書かれていなかったのですが、ウナス王はピラミッドの中にピラミッド・テキストというものを彫り込んだのです。ですから第五王朝の次の第六王朝…クフ王以降のピラミッドの時代にはピラミッドの内部にピラミッド・テキストという文書(もんじょ)が書き込まれているのです。ウナス王のピラミッドの参道のところには通称『飢餓の碑文』というのが書かれています。といっても深刻な飢餓があったわけではありません。それまで誰もが充分に食べられていたものが階級の差によって少し、充分に食べ物が回らなくなった人がいたという程度ですが、『私たちに食べ物を下さい。』というようなアピールの壁画があるわけです。しかし、ウナス王はそれを何とかしました。今でいう政府、王族の出費を抑えた財政改革ですね。余分なものを削いで国民に渡すという方法をとったのです。ですから少しエジプトの力が盛り上がってきたのですが、残念ながらウナス王には後継者がいなかった。こういうことは珍しいですね。後継者がいなかったために側近たちの争いにより社会が少し混乱し、最終的には王族の一人であるテティという人が王位を次いでかろうじて古王国時代はつながるのですが、そのあと奈落の底へと向かっていくことになるのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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