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吉村作治 エジプト博物館
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第5回 「古代エジプトQ&A」 5/30〜
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古代エジプトの胸飾り
(カイロ・エジプト博物館)
今回は、皆さまからのご質問にお答えします。

Q1:古代エジプトの王墓やピラミッドなので盗掘された品々はどこへいったのですか。

鋭い質問…といいますか、「私は泥棒じゃないからわからない」、というのが答えなのですが、盗られた物のうち、古代の時代ではおおむね再利用されています。宝石などははがして自分たちがアクセサリーに使ったりしました。再利用することにより、新しいものを使う必要がなくなるわけですからね。やがてそれが売り買いされるようになります。中世から近世にかけてはヨーロッパやアラブ諸国に売られました。それが流れに流れて、現在、大英博物館とかルーブル美術館など、ヨーロッパの博物館にあるわけです。いってみれば大英博物館などは泥棒展示場みたいなものです。(あくまでも、大英博物館が盗ったんじゃあないですよ。持ち込まれたものを買ったわけですけど、最近ではそういうものがエジプト政府に徐々に戻っています。つい先だってもアメリカがラムセス一世のミイラを無償で返しました。そういう動きになってますのでいつの日か、世界中に散らばっているエジプトの物がエジプトに戻る日も夢ではなくなりました。

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太陽の船
(ギザ)
Q2:クフ王の太陽の船について詳しく教えて下さい。また、古代エジプト人も海外への船で出て行ったのでしょうか。

「太陽の船」ってなかなかすてきな名前ですよね。太陽が船でできているとか、船が太陽でできているということではありません。太陽と王様が船で一緒に朝から夕方まで大空を旅行する、そのために人々が王様のために船を2つ―昼の船と夜の船―を作っていたんですね。
古代エジプトでは遠いところへ行くにはほとんど船だったんですね。陸路は使わなかった。エジプトの国内へはナイル川で。すべての県がナイル川に面してますから、県から県へ、また都へと船で行きました。古代エジプトの人たちも船で海外へ出て行ったか?もちろん。例えば地中海や紅海へも船でした。一番の外国といえば、西アジア。我々はメソポタミアといってますけど、そのメソポタミアに行くには紅海からずっとアラビア海に入っていく方法と地中海を経て今のレバノン、ベイルートのところを上ってチグリス・ユーフラテスや、ギリシャにも行っていました。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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