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吉村作治 エジプト博物館
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第3回 「カフラー王のピラミッド」 5/16〜
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大ピラミッド(ギザ)
カフラー王のピラミッドといいますと、ギザの第1、第2、第3とあるピラミッドの真ん中にあって、中心人物みたいな感じですけれども、前にもお話しましたように、カフラー王のピラミッドはカフラーが設計、立案したのではなく、3つとも、ヘムオンという人がクフ王のために作ったのだというのが私の考えです。この説が今、非常に強いんですけど、どうしてかというと、クフ王の後継ぎだったジェドエフラーはピラミッドをギザの北に作っています。もし、隣りに作ってよかったのなら、ジェドエフラーは隣りに作っていたと思うんですね。それが作ってないということは、この2番目のピラミッドはもともと息子のカフラー王のものではなく、クフ王自身のもので、そのことを皆が知っていたということです。そして、クフ王が亡くなった時に、後継ぎの座を奪ったカフラー王がこれは自分のピラミッドだとしたんですね。もうひとつ、非常に特徴的なのはこのピラミッドは角度によってはほぼ同じ大きさに見えるのですが、実はクフ王のピラミッドより10mぐらい低いということです。実際には低くても、クフ王と並んで同じような大きさのピラミッドを作った。カフラー王のプライドだという考え方もありますが、そうではなくて、ギザのネクロポリス全体のプランを立てたヘムオンは、この3つは同じ大きさでなければならないと考えていた。しかし、現実には2番目のピラミッドの場所の岩盤が少し高かったためにカフラー王のピラミッドを低くしたのではと私は考えています。この方がちゃんとした考え方だと思いますが、すなわち、このピラミッドはクフ王との比較で大きく大きく作ったのではなく、もともと設計段階で同じ大きさだったということです。
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カフラー王の廷臣のマスタバ墳墓
(ギザ)
この3つのピラミッドによって、見えてくるものがあります。例えば、スフィンクスとの角度は3つのピラミッドを結んだ線と直角三角形を作る位置にあり、その三角形の内側にはカフラー王の時代のたくさんの廷臣(貴族、大臣など)のお墓がある。一方、クフ王の廷臣の墓はピラミッドの裏側にあります。もともと三角形の内側はクフ王の時代には無にして聖なる空間であったために部下の墓は外側に作った。カフラー王はそんなことと関係なく、また、ヘムオンが亡くなったこともあり、三角形の中に自分の部下のお墓を作ったのだと考えていいと思います。カフラー王のピラミッドはエジプトのピラミッドの中でも最も典型的な――上神殿、参道、下神殿、そして波止場がワンセットになっている。非常に珍しい、大変よくできたピラミッドです。それは、とりもなおさず、カフラー王の治世が大変安定していて、人々が幸せだったからでしょう。その25〜26年の繁栄をこのピラミッドのワンセット、コンプレックスを見ることによって理解できますね。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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