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| カフラー王座像(カイロ・エジプト博物館) |
カフラー王というのは、クフ王の息子で、兄のジェドエフラーを排除して25年から26年、クフ王と同じぐらいの長さの治世を行い、しかもエジプト全体を治めた、大変力の強かったファラオであることはお話しましたが、実はカフラー王は王として優れていただけではなく、王子に大変恵まれていたんですね。たくさんの王子がいて、その中でも2番目、3番目の王子はカフラー王のために一生懸命、地方を治めることに力を注ぎました。特にカフラー王のピラミッドに奉納されていた11のカフラー王の彫像は各地のノモスの長(県知事)が奉納したものといわれています。なおかつ、カフラー王のほぼ等身大の起座像は閃緑岩といって、エジプト国内では手に入れることのできない特殊な石でできているんですね。その石を外国から取り寄せてカフラー王が王座についている彫像を作った、これも王子たちの仕事でした。そういう面でもエジプトがよく治められていた時代だったのです。農民の側からしても、ハッピーな時代。大変豊かな時代でした。古代エジプトのピラミッド時代の各地の人々、農民たちの幸せな顔が思い浮かぶような時代です。 |
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| 市場の様子(ルクソール西岸・イビィ墓) |
ピラミッドを作っている時も国のあちこちで「お父さん、行ってらっしゃい」、「お兄ちゃんがんばってね」というようなことをいわれてナイル川に浮かぶ船に乗って、上エジプトから下り、下エジプトから南に上って、カフラー王のピラミッドの近くにつくられた労働者たちの町に住んで、7月から10月のナイル川が氾濫している間、ピラミッド建設に携わったのです。建設が始まる前と終わるころ、故郷から家族が来て、自分たちの国から持ってきた物産をマーケットに出すんです。そこでよその国、自分の国にない物産、例えば上エジプトの人は海のものを持っていませんから海のものを買って(交換して)もって帰るという、物流が非常に盛んだった。ピラミッドの時代の中でも最も栄えていた時代、これがカフラー王の治世の時代ですね。そういった意味でカフラー王は自分のピラミッドを建設するだけではなく、クフ王のピラミッドの最終的な仕上げをしたわけです。このふたつのピラミッドはピラミッド時代の中でも独特の意味合いがあることをおわかりいただきたいと思います。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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