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| カフラー王座像(カイロ・エジプト博物館) |
カフラー王。大変有名な名前ですよね。ギリシャの歴史家ヘロドトスは「ケフレ」という名で呼んでますけど、エジプト読みでは「カフラー」です。クフ王の王子、息子ですね。ただ、王位継承権を持っていたわけではないんです。実は一番上のお兄さんが早く亡くなり、二番目のお兄さんである、ジェドエフラーという人が王だった時代があるんですね。ほんの3、4年です。とても不自然な形でジャドエフラーが亡くなり、その後カフラー王が即位するんです。その辺の事情ははっきりと歴史には出ていません。というのは、カフラー王は勝者でその後25〜26年、父のクフ王と同じぐらいの治世を持った力の強い王だったのですから。ジャドエフラーとカウラーの間に何があったのかということは後世の歴史家のかんぐりと思われても仕方ありません。私は暗殺されたと思っています。その根拠はジャドエフラーのピラミッドは未完成なんですが、ものすごく大きい。早く亡くなるのですから、ほとんど作られていないのです。 |
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ジェドエフラー王のピラミッド
(アブ・ロアシュ) |
場所は、アブ・ロアシュという、ギザから7キロぐらい北の所です。エジプトの一番北にあるピラミッドです。カフラー王は、その後、ギザのクフ王のピラミッドの隣りに自分のピラミッドを作りました。クフ、カフラー、メンカウラーのギザの三大ピラミッドはクフ王の時代にヘムオンが設計、施工したものです。まず、一番最初のクフ王のピラミッドができて、次に取り掛かる前にクフ王が亡くなったのでカフラー王が2番目のを自分のにしたんだと考えます。そういうことからしても、カフラー王はクフ王と治世が同じくらい長く、同じくらいの大きさのピラミッドを作ったということで、古王国時代、特に第4王朝においてクフ、カフラーは磐石たる王であったといえると思うんですね。三大ピラミッドの全体を見ると、スフィンクスはカフラー王のピラミッドを護るためにつくられたという伝説的な意見があります。このことについてはあとでお話しますが、我々はこのカフラー王のことを大変ミステリアスに思っています。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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