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ヘムオン座像(ヒルデスハイム博物館) |
ヘムオンとは人の名前です「へム」と「オン」に分かれます。「オン」は「ヘリオポリス」。太陽信仰の中心である町の名前です。ヘリオポリスという名前からしてギリシャっぽいですね。ピラミッドをギザに造った理由の中に、この3つの並び方がオリオン星座のまん中の星に似ているという話をしましたね。オリオン星座に限らず、星を信仰する一派と太陽神を信仰する一派が今から4500〜600年前にエジプトで拮抗していたわけです。国政をどちらが取るか競い合っていた。もともとエジプト人がいて、そこへ外来の人が入ってきてエジプトを制覇した。北から入ってきた人たちです。彼らにとって、自分たちが来た方向がはっきりとわかるものは北極星だったのです。民族派、古代エジプトに住んでいた人たちは太陽信仰なのです。この拮抗した状況がピラミッドに表れています。 |
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スネフェル王の赤ピラミッド
(ダハシュール) |
クフ王はお母さんがヘリオポリスの神官の娘でしたから何とか太陽信仰を国内に示そうとしました。それをさせまいとする一派が星派のヘムオンへリオポリスに送り込んだのです。星派の影が落ちているヘムオンになぜピラミッドピラミッドの設計、施工すべてをさせたかというとヘムオンの父親がスネフェル王のピラミッドの設計、施工をした人物だったからです。ピラミッドを造るノウハウを持っていたということです。そこでやむなくヘムオンに頼んだわけです。もちろんヘムオンは王の命令ですから、太陽信仰を具現しなければいけないということで、この真正ピラミッドを造りました。しかしヘムオンはある工夫をしたのです。どういう工夫かというと、太陽信仰のように見せて、ピラミッドの形を太陽の光の姿にし、東側に神殿を造り、その一方で入り口は北に造ったんです。すなわち魂は北から来る。ヘムオンはこういう工夫をしながら、表向きは王様の太陽信仰を見せながら、実はちゃんと星信仰を示したのです。ピラミッドがこういう風に並んで、あたかも星を思わせるというだけでなく、北からやってきた祖先の思いもきちっと示したというわけです。実はこれを解き明かしたのは日本人なんですね。外国人にはそういうことはわからなかった。今これは、国際学会に提案された説なんです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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