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ヘテプヘレス王妃の輿
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
ヘテプヘレス…。ちょっと言いにくい名前ですが、この人はなかなかの人物です。古代エジプトでは女性が埋没しないでそれなりの力を持って歴史を作っていたことで有名です。それは、王位継承権を第一王女が持っていたことにあります。権力を持っていたということです。王位継承権を持っている人と結婚しなければ王になれないのですが、このヘテプヘレス王妃というのは王位継承権を持っていませんでした。この人の出身は王家ではなく、太陽神ラーを信仰しているヘリオポリスの大神官の娘だったんですね。外来の人がエジプトを抑えていた時、エジプトにもともといた人たちは、このままでいいのかとふつふつとし始め、力を持った人たちが何とかしなければということで、その先頭に立ったのがヘリオポリスの大神官だったのです。その娘を王家に入れることによって融和したんですね。いわば政略結婚です。政権をどうにかして民族派に渡さなければならないという使命を負ってやってきた。それだけ認識の強い女性だったのです。 |
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クフ王座像
(カイロ・エジプト博物館蔵)
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そこでいろいろな改革をしていきます。そのひとつがピラミッドの作り方…、ピラミッドの形を見直そうということになったわけです。国民に一番わかりやすいですからね。ところが外来派だって負けちゃいません。入り口を東にするか北にするかで綱引きが始まります。実際にピラミッドを作るのは権力を持っている人ではなく、設計をしたり施工を管理したりする人です。そこでヘテプヘレス王妃はヘリオポリスからそういう職人を連れてきてその職人頭に作らせるという策略をたてるのですが、またもやこれに対抗する人が出てきます。その戦いはこのあと、ヘテプヘレスの子供であるクフという人物とスネフェル王と他の女性との間の子供にゆだねられます。この戦いは古王国時代の最後のところにものすごく作用してきます。クフ王のピラミッドが作られるまでの、両派(外来派と民族派)の確執、葛藤につながるのです。この話については別の機会にまたお話しますが、屈折ピラミッドと真正ピラミッドには、こういった王家の思惑が関わっていることを知っていただけると大変嬉しく思います。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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