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屈折ピラミッドの内部(模型)
塔のような形が玄室(王の間)。
上と下に2つある。 |
意味…。難しいですね。なぜ屈折しているのか…。スネフェル王が作ったといわれるふたつのピラミッド、屈折ピラミッドと赤ピラミッド(北のピラミッドとも呼ばれますが)は1kmぐらいしか離れていません。どうしてこのようなことが起こったか…?これは私の考えですけれど、屈折ピラミッドの上の部分の角度と赤ピラミッドの角度は同じなんです。そして下の部分の角度はフニ王のピラミッドの角度とほぼ同じなんですね。下の部分はフニ王の時代にふたつ作られています。途中までできたところでフニ王が亡くなった。それを引き継いだスネフェル王が小さな角度のを作ったということです。なぜかというとそれが自分の角度だったからです。王には王の角度があるのです。そのために屈折ピラミッドの上の部分と赤ピラミッドの角度は一緒なのです。屈折ピラミッドの中を見てみますと、王の間がふたつあります。東から入る部屋がと北から入る部屋で北から入る部屋の方が下に位置しています。東と北、これには重要な意味があります。 |
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赤ピラミッドの内部(模型)
玄室はひとつ。(右下に2つあるのは前室) |
北を入り口としているというのはすなわち北極星を信仰している時代のものだということです。東側を入り口とするのは太陽神を意識している。ですから、屈折ピラミッドはふたつの考え方がミックスされている。北極星信仰の方が古いので北側の入り口の方が下にあるのです。北側が古い考え方、つまり父親が作ったもの、東側は新しい考え方ですから息子が作ったものということになるわけです。すなわち、このピラミッドには二人の違う王が入っていることを示しています。もうひとつの赤ピラミッドのほうは北側から入る部屋だけです。新しい時代に作られたのに古い考え方(北極星信仰)。どうしてこんな矛盾があるのかということになりますが、ピラミッドを作るとき、王ひとりの考え方で作るのではなく、側近の考え方が入るんですね。古い北極星信仰の集団と新しい太陽信仰の集団が綱引きをして、結果、北極星信仰の集団が赤ピラミッドに北側を入り口とした部屋を、太陽信仰の集団が屈折ピラミッドに東側を入り口とした部屋を作ったということなのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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