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赤ピラミッド
(ダハシュール) |
スネフェル王は古王国時代第4王朝の初代の王です。第4王朝とか第5王朝というのは、のちの時代につけられたばんごうであって、その時代に分かれていたわけではありません。マネトという人があとでわかりやすいようにと分類したものです。スネフェル王はフニ王という第3王朝の一番最後の王の息子です。この二人の間にどういう違いがあるかというと、スネフェル王の時に本当の意味のピラミッド、真正ピラミッド(私たちがよく見る、すっとした形のピラミッドです)の動きになったということです。その中でも赤ピラミッド(真正ピラミッド)がスネフェル王の一番の功績だと私は思うんですね。実際問題として、フニ王は崩れピラミッド(メイドゥムという所にあるのですが)を本気で作ってはいたのですが、同時に屈折ピラミッドにも手をかけていたんです。フニ王とスネフェル王は共同統治をしていた時があり、その間、親子でピラミッドに対する考え方がいろいろあったんだと思うのですが、フニ王が自分のピラミッドを最終的にどういう形にするかを決めないうちに亡くなってしまい、それを受けたスネフェル王が、独自に側近などに相談しながら真正プラミッドを完成させた。 |
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屈折ピラミッド
(ダハシュール) |
しかし、その後も生きていたため、国家の戦略なども考え…ピラミッドができたからといって、やめるわけにもいかないし、先行きどのくらい生きられるかもわからないということで、小さなピラミッドを作ってクフ王にバトンタッチするというはなれわざを行っていたんですね。そういう面でスネフェル王は古王国時代、最も重要な存在であったといっても過言ではないでしょう。しかし、スネフェル王のもっとすごいところは王妃ヘテプヘレスにあったのです。詳しくは追ってお話しますが、ヘテプヘレスは太陽信仰まっただなかのヘリオポリス(当時はオンといいましたが)の大神官の娘でした。その娘と結婚したスネフェル王は大きな転換期を迎えることになるのです。このあとは屈折ピラミッドがどのような思想の下につくられたか、また、ピラミッドの中で最も不思議な謎として残っている話を致しましょう。
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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