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カルナク神殿内のアメン神殿
(ルクソール東岸) |
「その後」というのは第一王朝…初期王朝の一番最初の王朝ですね。この初期王朝の初代、エジプト文明の創始者はナルメルかメネスか、そのあとはどうなったかということです。
第一王朝はその後7人のファラオが続いております。7人目のカーという王の時にどうやら国内が混乱して王朝が終わったということです。
王朝というのはマネトーという、今から2300年ほど前のエジプトのアメン神殿の神官がなんとかエジプトをまとめようとして、一番最初のナルメル王、メネス王から末期王朝最後の王、自分が仕えたアレキサンダー大王の前までを30の王朝に分けたんですね。どのような基準で分けたかというと、ROYAL
BLOOD、すなわち、王家の血筋です。もちろんそれがきちっとしていないとか混乱していたということもありますから、必ずしも明確ではないのですが、おおむね王の血筋で分けられています。
マネトーが30に分けた時、王の名を拾い出したところ561人いたということです。不明の王もいますから大ざっぱに600人ぐらいでしょうね。600人で30王朝3000年。ということになります。
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現在のエジプトの風景
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初期王朝の状況をいろんな神殿から集めたりして資料で見ますと、42のノモスを統一してそれぞれのノモスに知事をおき、最初にやったことは土地を区分けして豪族、力を持っている人たちにその土地を分け与えたことでした。
土地を与えるかわりにそこで収穫したもの、大麦、小麦が中心ですが、その半分を王様に出しなさいという命令を出しました。今でいう徴税でしょうね。そういうことをしていきながら初期王朝の第一王朝は150年ぐらい続くのですが、着々とエジプトをひとつの国家的なものにしていきます。そうして今から5000年ほど前の最初の150年でエジプトは物理的にひとつの共同体になったのです。これはすごいことですよ。当時100万人近くいたといわれる人々を一つの目的に持っていかせたのですからね。この功績は初期王朝の第一王朝の王たちにあったというわけです。
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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