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「現在のカイロ市街」 |
ナイル川は今、どうなっているのか…。どうにもなっていない、もともとだという考え方もありますけど、今から500万年ぐらい前、人間ができたときにすでにこの川筋でした。それを今から8000年ほど前にうまくナイル川を利用して農業生産を人間が始めた。農耕開始ですね。そういう風にずっと自然を守ってきたというか、自然のままにしてきた川なんです。ところが、20世紀後半に、エジプトの大統領ガマル・アブデール・ナセルという人が、「どうも、今の人口の増え方からいうと、エジプトは20世紀末には倍になる、6000万人になる」と。(当時3000万人ぐらいでした)ちょうど1952年に革命を起こし、57、8年ごろのことですが、そう思ったんですね。そこでいろんな人に聞いたところ、これはもったいないことをしている。なぜかというと、ナイル川は毎年夏になると4回氾濫する。その間農業ができないけど、この間に農業をすれば、すなわち二毛作をすれば収穫量が倍になる、といわれたんです。そうか、そうすればみな、ひもじい思いをしなくてすむ。よそから輸入しなくてすむということになりました。ナセル大統領はピンときて、アスワンのところにダムを作ります。アスワン・ハイダムです。10年ほどかけて、67〜8mの階段も作りました。
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「ナセル湖」
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それから50年ほどたちましたが、結果、アスワン・ハイダムにより、二毛作は達成しました。しかし、収穫量は倍にはならなかった。1.3倍か1.4倍にしかならなかった。なぜかというと、途中で水を止めましたから、水が途中のナセル湖に貯まってしまい、ナイル・シルトという、河口近くの肥沃な土地に貯まらなくなってしまったのです。その上、砂漠から風とともに砂と塩が入ってきてしまい、土地がどんどん悪くなってしまう。栄養がなくなるので化学肥料を入れる。化学肥料はアスワン・ハイダムの電力で作れるので何とかなるものの、どんどん塩が入るため、酸性のものをいれて中和していかなければならず、土地は悪くなり、その結果、収穫が悪くなってしまった。
というわけで、人類の何万年という間、ナイル川にダムを作ろうとしなかった古代の王様の偉さ、それに引き換え現代人の浅はかさというものがみえるのです。
格言があります。「自然を大切にしないと人間は滅びるぞ」 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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