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| 「エジプト最古の石造建造物」 |
2003年、7月の第4週から9月の第3週まで、約60日にわたって発掘をしました。
日中は39℃、40℃。直射日光がつらいです。帽子をかぶったり、サングラスをかけたり、タオルを首に巻いたりして頑張りました。発掘の労働者の数も120人ぐらい。2001年、2002年にかけて丘の東から南へとやってきたのですが、2003年には2001年や2002年のようなあたりはありませんでした。当然、東にイムヘテプが造ったと思われる、“階段ピラミッドのテストケース”がありましたので、その周りにお墓があるだろうとやってみました。思わせぶりなところは3ヶ所ぐらいあったのですが、そこをずっとやってみるとついに地山がでてきてしまう。なかなか発掘は思うようにいきません。
8月の中旬から発想を変えようということになりました。
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| 「2003年発掘調査」 |
“イムヘテプは、こちら側で石組みのテストをして、そのそばに大きなお墓を造ったら当然すぐ見つかってしまう”と考えたのでないだろうか。
私はイムヘテプの気持ちになってみて、西側(遺跡の反対側)を掘ってみることにしたのです。西側は全く手付かずでした。しかし、太陽は東から上って西に沈む。自分の遺体(ミイラ)はより、太陽に近い西側に埋葬したかもしれない、と考えてみたのです。
なぜそれまで西側に手をつけていなかったかというと、イムヘテプの時代は、その後のクフの時代に比べて太陽信仰が弱かったからなのですが、とにかくやってみようと掘ってみました。しかしまあ、掘れども掘れども砂です。今年中に終わるか、来期かなあと思いながら戻ってきました。
さあ、このあとの話は楽しみでもあり、辛いところでもあるのですが、またの機会にお話することにいたします。
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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