| 第1回 |
「新たな発掘地、アブ・シール南丘陵」
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9/6〜 |
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| 「カエムワセトの葬祭殿址」 |
私たち、40年近くエジプトで発掘していますけども、ちょうど1987年にフランス隊がピラミッドの中に新しい部屋を見つけたということで大騒ぎになったんですね。
じゃあ、ハイテク持っている調査団、みんな集まれということになり、ピラミッドのとこでやったんです。まあそうしたらたくさんの調査隊が来て、収拾がつかなくなったので、ユネスコが、ともかく沈静化しようということになり、いろんなところに調査隊が割り振られんです。ところが1991年、湾岸戦争が起き、すべての外国人はエジプトから退去せよということで、一旦みんな出たんですね。その間に発掘地の選定が変わってしまい、アブ・シールのすぐそば(アブ・シールにもピラミッドが3つあるんですけど、そこから少し離れたところ)に我々の発掘調査の権利のある場所が移されてしまったんです。
我々は電磁波地中レーダーをジープに乗せ、というか引っ張って、その周り30kmぐらいをぐるぐると1ヶ月半位、くまなく探し、やっとある場所…平地から30mぐらい高くなった小高い丘の頂上のところにどうやらピラミッドがあるらしいということになり、色めき立ったわけです。
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| 「新王国第18王朝トトメス4世のステラ」 |
そこを発掘しましたら、ピラミッドどころかイギリス隊が120年もずーっと探し続けていたカエムワセトという今から3300年前の、ラムセス2世の第4王子の葬祭殿を見つけちゃったんですね。それは、なまじプラミッドを見つけるより大変なことなんです。
3年ぐらい(随分かかりました)そこをずーっと掘って、すぐそこに、カエムワセトより100年昔の18王朝、(カエムワセトは19王朝です)のトトメス4世、アメンヘテプ2世といったファラオ、一番栄えた18王朝のファラオの建物を見つけたのです。
ところがこの建物、ちょうどこの丘が砂漠のいい場所にあったもので、中東戦争の時の高射砲陣地だったんです。その所にびったりと高射砲が置かれたために上部構造が完全に破壊されていました。しかしそれでも23のステラという石碑を見つけた“大発見”ということで、2年続けて大発見をいたしました。
され、それからどうなるか。私たちも楽しみだったのですが、この成果により、文部科学省の補助金を頂き、それからずっと約10年に渡ってやっているということです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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