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吉村作治 エジプト博物館
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第5回 「ご質問にお答えして」 8/30〜
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「亜麻布を巻いたミイラ」
(カイロ・エジプト博物館蔵)
 今回は、皆さまからのご質問にお答えします。

Q1:王様以外の人々の埋葬方法とはどんなものだったのですか。

埋葬方法は土を掘って場所をつくり、遺体をミイラにして木のお棺に入れ、蓋をして埋めるというものです。しかし誰でも彼でも埋葬されるかというと、そうではありません。農民の場合、土にすら埋めません。大体ナイル川に流します。水葬です。国民の99%が水葬されます。ルクソールで流した場合、1週間ぐらいで地中海に流れ着き溶けてしまうというわけです。
貴族の場合、王に似て岩の中をくりぬく。その中間の人はさっきと同じく、土に穴を掘り箱に入れミイラにした遺体を入れて土をかぶせ少し盛り土をして終わりです。
地位というより、お金の量、金持ち度によって違ったようです。

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「アブ・シンベル大神殿」
(アブ・シンベル)
 Q2:なぜラムセス二世は自分の墓のあるルクソールから500キロも離れたアブ・シンベルに巨大な神殿を建てたのですか。

ラムセス二世はエジプト全土、いたるところに神殿を作りました。これが「建築王」と言われるゆえんです。
離れたところに造ったのは、ラムセス二世の時代には、北側からはヒッタイトという国が攻め寄ろうとしていましたし、南からは中王国時代からずっと、ヌビアの諸部族がエジプトに上がってきていましたから、南のヌビアの諸部族にエジプトがいかに力があるかを見せつけるため、ああいうのをバーンと建てたわけです。建てたといっても岩山をくりぬいてそこに自分を含めた四体の神様を置き、脅すと同時に神に「エジプトを守ってください」とお願いしたのです。あれがラムセス二世の時代の南の境界だったんです。境界石の大きなものと考えていただくとわかりやすいかもしれません。

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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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