| 第3回 |
「黄金はなぜ大切にされたのか」
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8/16〜 |
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「ホルス神頭部像」
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
黄金文明について語る時、「黄金というのは純金ですか?」と必ず聞かれます。基本的には純金です。別のものを混ぜて伸ばそうなんてことは古代エジプト人は一切考えていませんでした。そういうことは神に対する冒涜ですからね。
黄金とは、神様の肉体なんです。今でこそさびない金属はたくさんありますが、当時のエジプトではさびないものといったら黄金だけだったんです。さびないということは、すなわち永遠性があるということですから非常に重要でした。その上ぴかぴか光っている。光るものといえば、当時は太陽だけです。太陽=黄金=永遠(さびない)となれば、王様や王様の家族、高い位の貴族が皆欲しがるのは当然ですよね。黄金を手に入れるのが目的みたいになってしまうんです。
ひとりの王が平均して大体どのくらいの黄金を消費していたか、使っていたかといいますと、2トンとか4トンとかいわれています。この差は王としての在位の期間…、長ければ多いし、短ければ少ないということです。
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「ツタンカーメンのぺッド」
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
ツタンカーメンの場合、18歳で亡くなり、王位に10年ぐらいいました。王墓から出てきたものはツタンカーメンが使っていたもの全部とは考えられませんけど、半分として、使った金は1トンといわれています。一番多く使われていたのが第三の丘。純金の丘とも呼ばれる、ミイラの入っていた丘で、300キロぐらいです。
ツタンカーメンの黄金の製品は、非常に薄く延ばして使っていたものが多いのでトータルで1トンぐらいと考えられています。
王にとって黄金をどれほど確保するかがその偉大さ、強さに関わってくるということです。
ファラオの墓はほとんど盗掘されていて、黄金のものは手に入らないのですが、ラムセス二世などは、92歳まで生きて68年も王位についていたのですから全部で4トンぐらい使っていたのではないかと推測されています。
ちゃんとした数字はなかなか出ませんけどツタンカーメンのものはほぼ墓の中に残っているので大体わかるということです。
ファラオがいかに黄金を重要視していたかということです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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