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「セティ二世の耳飾り」
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
黄金…。今でも「金」というと、みなさん、「欲しいな」と思いますよね。今なんかは金ブームとでもいうんでしょうか、日本でも大変な人気です。
古代エジプトでは、黄金なしには文明は成り立ちませんでした。価値的には銀の方が金よりも高かった(生産量が少なかったので)のですが、ともかく、エジプト人は金が大好きでした。しかし、大好きといっても、どこから採れたか、どうやって持ってきたのか(突然ナイル川が運んでくるというわけではないですから)ということを、皆さん不思議に思いますよね。
まず黄金は、エジプトでも採れていました。今はほとんど採れませんけどね。どの辺かといいますと、南部の山の中ですね。今でも当時黄金を採った鉱山の跡があります。
採っていたといっても、金そのものがごろごろとあったわけではなく、いろんな石の中に金が入っていた。エジプトの場合砂金はほとんどなくて、鉱物の中に入っていたんですね。
鉱物の中に含まれている割合は非常に少なくて0.1%とか、せいぜい1%。ですから何とかして取り出さないといけないのですが、黄金が磁鉄鉱とか黄銅鉱の中に入っていることや、金だけでなく、その他の金属も一緒に入っていることを古代エジプト人はちゃんとわかっていたんです。 |
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「鋳物職人」
(ルクソール西岸、レクミラ墓) |
一方、砂金はどんなところから持ってきたかといいますと、エジプトのもっと南、ナイル川の上流のスーダンとか、プントというところからです。プントがどこにあったかは明確にはわからないのですが、現在のイエメンとか、オマーン、エチオピアの南、紅海沿岸の辺りで、そこからもってきたと考えられています。
エジプトは金の製品をプントに持っていってその代わりに砂金をもらってくる、つまり物々交換をしていました。
このほかに北のシリア、チグリス・ユーフラテスから金をインゴットという形で持ってきていました。そして、時代によって、向こうで金が足りなくなったらエジプトから持っていく、エジプトで少なくなったら向こうから来るというようなこともありました。
いずれにしても黄金はエジプトの中でも採れていましたが、そんなにたくさん採れなかったので、外国から買っていたという例が色々な記録に残されています。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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