| 第3回 |
「1980年代 ハイテク調査による新発見!」
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7/19〜 |
1980年代はハイテク調査による新発見が続々と続きました。大変ラッキーな、私たちには忘れられない10年間です。
1970年代、とっかかりがつき、トントン拍子にいったのですが、隊長だった川村喜一先生が体調を崩され、1978年、ついに帰らぬ人となってしまいました。研究者の川村先生が亡くなり、つなぎとしてエジプトの専門家でない先生が来て、私もまだ若かったものですから本当に大変でした。あっというような発掘やあっというような成果を見せればいいだろうとがんばっていたところ、たまたまドイツ隊が持っていたいくつかの貴族の墓を譲り受け、そこの発掘をしましたら、それはそれは素晴らしい発見が行われ、200体ものミイラを見つけたのです。このミイラをCTスキャンにかけ、コンピューターグラフィックスで復顔し、ヨーロッパで発表したところ、「さすが日本。ハイテクだ!」との評価を受けました。
そうか、ハイテクか!
ハイテクというのは世俗的ないい方です。正式には「物理探査」といいまして、地球の物性に対し、色々な調査をするんですが、一番いいのは電磁波地中レーダーというもので、地中に2000本から3000本の電磁波をバーっと瞬間的に流して、戻ってきたものを解析する方法です。
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コンピューターグラフィックス
によって復顔されたミイラ |
1987年にこれでピラミッドの中に部屋を見つけたり、スフィンクスのところに部屋を見つけたり、それまで幻だった太陽の船の第2の船を見つけたリ…ということで、さすが日本!と、一気に世界的な注目を集めることになったわけです。
その後、もっとすごい方法があるのではないかということで、人工衛星の画像解析を使って遺跡を見つけるというところまで行くのですが、1980年代は電磁波地中レーダーでいくつもの大発見をしました。
例えば、サッカラの階段ピラミッドの西に1キロばかり行ったところの「聖なる丘」という所でカエムワセトという、ラムセス2世の第4王子が作った葬祭殿ですね。これは幻の葬祭殿といわれ、100年も前からイギリス人がずっと探していたものですが、これをハイテクで探してしまったのです。エジプトでは最も後発の日本が最も進んだイギリスに勝ったということで注目されました。
1990年代に日本がいよいよトップクラスに入る第一の関門となったわけです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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