| 第2回 |
「1970年代 本格的なエジプト調査へ」
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7/12〜 |
ともかく1971年に第1回目の発掘をしました。文部省(現在の文部科学省)の第1回目の私学への科学研究費補助金を受けて行ったのですが、あとから委員の方に聞いた話では、実は「私立大学に本格的なことができるのか」という心配があったようです。
「まず、3年間」という約束で発掘を始めました。1971年。忘れもしません。
しかし、一体どうやって発掘の労働者を集めたらいいのか? 何時から何時まで? 給料をいくら払ったらいいのか? いつ払ったらいいのか?
などなど、もうわからないことだらけでした。
ひとつひとつ失敗しながらやっていきまして、やっと100人ぐらいの人を選んで発掘を開始したのですがなかなか出ないんです。「まあ、しょうがないじゃないですか」ということで、1年目は終わりました。
2年目、少し小規模にして、何とか見つけなきゃいけないといろいろ試掘をしましたが2年目も大したものは出ない。
私たちが狙っているのは先王朝で、2〜3m下を掘っていくのですがラッキーなことに当時の象牙の棒とか、パレットという化粧版など化粧道具、そのほか、土器などは見つかりました。しかし、住居跡や墳墓の跡がなかなか出ません。3年目が最後ですから、文部省としても何も出なければ「将来展望がもてない。もうやめなさい」となりますよね。ですからなんとか、1973年はしっかりとした遺跡を見つけなければと張り切っていたわけです。でも、いくら経っても何にも出ない。がっかりして、いよいよ万事休す、これで終わりだ。でも3年間やれたんだから天に感謝し、我々とは合わなかったんだ、と思ってあきらめようとしました。 |
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「魚の丘」彩色階段
(第3次マルカタ南遺跡調査出土) |
ちょうどそのころの1月15日、労働者のチーフだったハムザという人に「来年はいつ来るんだ」聞かれました。「何も出ないから今年でおしまいだ」と言いましたら、「何か出たらまた来るのか?」と言います。
向こうの人は“何か出ちゃったらもう来ない”、と思ってたらしいんですね。我々は“出なければ来ない。”と思ってましたから、そのへんの意思の疎通がうまくいってなかったんです。「何か出れば来られるよ」と言いましたら、「じゃあ、面白いところがありますよ」と言う。
「だったら前に言ってよ!」って感じですけど、その次の日の1月16日、ついに「魚の丘」というのが見つかりました。これは王朝時代のものでアメンヘテプ3世のフェスティバルホール、祭殿です。
これが全世界に報道されました。ビギナーズラックともいわれましたが、こうして我々のエジプト調査の基礎ができたのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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