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スフィンクス参道と第1塔門
(ルクソール東岸、カルナク神殿) |
『ルクソール』というのはアラビア語です。城がたくさんあるところという意味です。7世紀にアラブの人たちがカイロからナイル川を遡ってきた時に塔門を見て『これは城だ。すごく守りを固めているぞ。城がたくさんあるところだ』と言って名づけたのです。
ルクソールには東岸と西岸があります。東岸は日の出づるところですから、人々が住むところ、生の町です。東岸には王宮がありました。しかし現在のルクソールの町には王宮はほとんど見当たりません。最近の発掘で礎石などが少し出てきているところがありますが、まあ全くといっていいほど見当たりません。なぜかというと、古代エジプトの時代から約3500〜4000年の期間に次々と時代を追って町ができました。町の上に町ができたので前の町が消えてしまっているんですね。現在ある町は17〜18世紀の町です。
ホメロスも言いました。『古代エジプトのテーベ(ギリシャ人はルクソールをこう呼んでいました)は、100万の人口があった』。今でも日本で10万人の年は政令指定都市になるわけですからそれが4000年前にあったのはすごいことです。
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カルナク神殿
(ルクソール東岸) |
王宮はないにしてもその他の施設、例えば神殿などは残っています。神殿は神様の家ですね。神様があの世からこの世に来る…、この世の人間があの世に行った時に神様から歓迎してもらうために、神様にもこの世に来てもらって、どこかに住んでもらう。人間ならホテルとか、宿屋でいいのですが神様だとそうもいかないということで、石で大きな家をつくった。これが神殿です。
古代エジプトでは神様は1000人ぐらいましたから、部屋を1000ぐらい作りました。住むだけではいけない。神様が集まって、儀式をしたり、相談したり、お祭りをする広場が必要です。入り口もなければいけません。
現在エジプトに残っているのはカルナク神殿とルクソール神殿の2つです。そういった神殿を見るには、ルクソールの東岸に行くといいわけです。
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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