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| 「古代エジプトの地図」 |
今回は「古代エジプト遺跡めぐり」をテーマにお話してまいります。その第1回目は『主要遺跡の基礎知識』です。
エジプトは地中海からエジプトの一番南の果て、アブシンベルまで、約1600kmぐらいです。ナイル川1本しかありません。
面積は日本の4倍。200万平方kmぐらいです。古代エジプトというのは別に国ではなく、ナイル川の周りの地域をエジプトと呼んでいたということなんです。エジプト人を『ナイルの水を飲む人』と言ったぐらいですから。
実は古代エジプトは地図の上の方…北を下エジプト(しもエジプト)といっていました。地図では上ですが、川の流れからいうと下流ですから下エジプトです。今のエジプトの首都、カイロのある南の方、地図でいう下の方は上エジプト(かみエジプト)です。
いろいろな町がありました。ノモスという、日本でいう都道府県みたいな町が全部で42ありました。下エジプトに20、上エジプトには42です。
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| 「タニス遺跡」 |
エジプトの古い時代、古王国といいますが、この時代の都、首都はメンフィスで、ここが中心となっていました。しばらくして…700年ぐらいですかね、都は一旦、南のルクソール、古くはワセトといっていましたが、ここに遷ります。しばらくそこにいて今度はダハシュールの近くに遷るんです。これが中王国時代、400年ぐらい続きまして、本格的にルクソールにもう一回戻ってきます。新王国時代ですね。ツタンカーメンなどの時代です。700年ぐらい続いた後、外国からたくさんの民族が攻め込んできました。そこでこんなところでおちおちしていられないと、ずっと北、地中海の近くに都を遷します。タニスというところです。ここを都にして、西アジアやギリシャから攻め込んでくる異民族と戦ったのです。
古い−中くらい−新しい−ずっと新しい…と、あっち行ったりこっち行ったりしていますが、日本でも奈良とか京都とか東京とか、都は決して1箇所にあったわけではありませんよね。
皆さんと一緒にこれらのひとつひとつを見ていこうというわけです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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