| 第4回 |
「農耕に欠かせなかった天体観測」
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4/26〜 |
古代エジプトは農業立国。国が国として成り立つのは農業…、農産物からでした。農業は人間にとって一番大事なことでした。しかし、ただ単に土を掘っていればいいということではないですね。そのために暦が必要となってきます。例えば、ナイル川が氾濫するのはいつ頃か、氾濫する時期を一年の始まりに定める。そして、川が氾濫し始めたら今度は月を見る。すると月の満ち欠けが一回転(=30日ですね)、二回転…、四回転して氾濫が終わる、ということがわかる。
氾濫の予兆はというと、太陽とシリウス星が一緒に東から来るころで、そうすると、「よし、そろそろかな」と、船の準備をしたりするんですね。
このようなことから暦ができるということで、いつも天体観測をしているということです。
彼らはナイル川の果て、地中海のところ。現在は北といっていますが、そこに北極星がわかり、北極星をナイル川の行き先として尊敬していました。川の流れを見れば北という方角はわかるのですが、川は正確にまっすぐ行きません。蛇行しますからね。だからといって北を知るために毎日北極星を見ているわけにもいかないので、まず、北を決めようということになりました。それはなかなかむずかしいことでした。そして北極星の周りをぐるぐると回っている周極星に注目したわけです。 |
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「北を調べる方法」(模型)
真中が観測者、
右が星の出、左が入りの点 |
周極星は夕方出てきます。(暗くなるから見えてくるということですが)出てきたところの方角に印をつけます。次に朝を迎えますと、星がずーっと回って沈みます。また同じところに立って沈むところの方角に印をつけます。この2つの印をそれぞれ、観測した人が立っていた地点と結びます。できた角度を二等分した方角の先が北。その先に北極星があります。
なぜそれが必要かというと、ピラミッドを作るときに東西南北をきちっとしておかないと、ファラオの霊、魂があの世に行ってから正確に戻ってこられないということがあるわけです。
こうして星を観測しながら農業に従事していたため、古代エジプトの人たちは3000年もの間、非常に裕福に、しかも農民たちに至るまで十分に飢餓もなく暮らしていたといえるわけです。
すなわち科学を、科学としてでなく生活実体験として、ちゃんと実習し、実験し、生活に取り込んでいたということです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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