| 第3回 |
「ミイラ作りがもたらした医学」
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4/19〜 |
私は子供のころ、ミイラが怖くて「ミイラ男の逆襲」なんてのを見ると夜眠れないほど臆病な少年でした。
ところが大人になってエジプトでたくさんのミイラを見て驚きました。足がゆわかれてるんです。ですから、ミシ…、ミシ…。なんていくわけがなかった。歩くとしたら少しずつ、ぴょん、ぴょんといくしかなかったんですね。
しかし、きちんと思想を持ってミイラをつくり、3000年にもわたってずっと残っていたというのは驚きですね。なぜそんなに残っていたのか、これは、古代エジプト人の死生観、来世観によるものと言われています。死生観、来世観について話すと長くなりますので、今回はミイラづくりの医学についてお話ししていきましょう。
古代エジプトの大半の人は、いろんな病気に悩まされていました。歯の場合ですと、歯槽膿漏で、歯がガタガタになっていて、木の先っぽを細くしたもので歯を磨くというか、歯垢を取ったりしていました。ガンみたいな病気もありました。「悪魔の病気」と呼ばれていました。(今でもアラビア語ではガンのことを悪魔の病気といっています)病気については、我々以上によく知っていたようです。 |
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「外科用のメス」
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
現在まで古代エジプトの医学書は7編残っています。外科、内科、その他…例えば、耳鼻科、眼科、歯科なんかがありました。
エジプトでは医者がいくつにも分れている…。これについてはギリシャ人がビックリしています。エジプト以外では「お医者さん」ということで、どんな病気も1人の医者が見ていたというのに、エジプトでは歯は歯、目は目…。外科などは、パピルスを見てみますと、今の治療とほぼ同じ。手術なんかもしてました。人間の体をよく知ってたんですね。なぜかというとミイラを作っていたからです。ミイラを作っていたことで、人の体の構造がよくわかり、医者ができ、外科も内科も、その他の医者もできました。もちろん、占いに頼らざるを得ない治し方もあったのですが、わりと科学的だったんですね。科学的なもとは、ミイラをつくる際に「内臓が腐りやすい、だからこの内臓はこの壷(ご存じ「カノポス壷」です)に入れよう、これはこっちに入れよう。心臓はとっておいて最後の審判で使おう。なんてことをきちっと理論的にやっていたからです。
今の医学の基本は古代エジプトがつくったということです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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