| 第3回 |
「王家の谷 西の谷発掘プロジェクト」
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3/15〜 |
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「アメンヘテプ3世像」
(カイロ エジプト博物館蔵) |
「ツタンカーメンのような王墓を見つけたい!」
私は子供のころからそう思っておりました。そしてついに1966年にエジプトに行き、70年に発掘権を取り、ルクソールの南のはずれ『マルタカ南』と言うところで発掘を始めました。
そうしたら、夢のような話ですがツタンカーメンのお父さんともおじいさんともいわれる『アメンヘテプ3世』の小さな祭殿を見つけたんですね。そして、その関連で王家の谷のアメンヘテプ3世のお墓をクリーニングするというか発掘する権利が手に入りました。
この時代…18王朝は一番混乱していましたからまだ名前がわかるか、わからないかといったレベルの王の墓を見つけられるに違いないと、王家の谷の西の谷に狙いを定めました。
西の谷は山の反対側にあり、そこには4つの墓がありました。そのひとつがアメンヘテプ3世のものです。そのアメンヘテプ3世の墓の近くにある、切り出した石というか岩の破片のところを丹念に探しました。なぜアメンヘテプ3世の墓がよかったかといいますと、ハワード・カーターがツタンカーメンの発掘をした時、まだ誰も発掘権を持っていない西の谷をずっと3年ぐらいに渡って調べ、この辺にあるというメモ書きを残していたからです。そのメモ書きのそばを発掘しようと1992年から約8年に渡り発掘したということです。 |
何度も「ここが王墓だ!」とういようなところを見つけるのですが、そういうところのほとんどは今から100年から120年も前にヨーロッパのエジプト考古学者に掘られていたあとでした。
なぜそういうことがわかったのかというと、掘り進めて、ここだ!というところになんとも無情に1848年とか1902年とか書かれた新聞紙とかちょっとしたメモが落ちてたりするんです。それを見たときのガッカリといったら!
でも、負けるものかとまた発掘をするのですが、他の貴族の墓なんかと違って相当な隠し方をしてるんですね。本腰入れてやらねばならないと、いろんなハイテク機器を使ってまず探査しようといういうところに立ち返り、探査をはじめました。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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