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吉村作治 エジプト博物館
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第2回 「世紀の発見!ツタンカーメン王墓」 3/8〜
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「王のミイラが納められている棺」
(ルクソール西岸 ツタンカーメン王墓)
 「王家の谷 大特集!」、2回目のテーマは『ツタンカーメンのお墓』です。
このツタンカーメンの墓の発見というのは衝撃的でした。衝撃的で魅力的なことでした。ツタンカーメンそのものもエピソードの多い不思議な王さまです。おそらく10歳の時王位につき、18歳で亡くなったといわれています。亡くなったのは即位8年目ですから、正確には17歳かもしれませんね。年齢のことはともかく、なぜ亡くなったのがわかったかといいますと、治世の最後の年が書かれたワインの壷が王墓の中から見つかったからなんですね。
この王様の魅力もさることながら見つけたハワード・カーターというイギリスのエジプト学者もまた、たいしたものです。この人は、小学校しか出ていません。8歳の時、ロンドンに出てきて道路工事とか、いろんなアルバイトをしてたんですが、ある時、もう救いがないと思っていたような時に『絵描き求ム』という求人広告を見つけたんです。エジプトで発掘をした時に出てくる出土品や絵を描く人がほしいということだったんです。そして、そこで仕事を始めたカーターはどんどん出世して、ついには独立し、お金持ちを探して自分が信じているツタンカーメンという王様の墓を探そうとした。
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 じゃあどうしてそれまで誰も探そうとしなかったのか。という疑問が湧いてくると思うのですが、実は古代エジプトには王名表というのがありまして、これは今から3300年程前にラムセス2世の第4王子のカエムワセトという人が作ったのですが、その中には、なんとツタンカーメンの名はないんです。だからちゃんとした学者、大学の教授たちは、王名表に書かれていない王の墓があるわけないじゃないか!と言っていたんです。しかし、その中でハワード・カーターはツタンカーメンは必ずいたという確信をもって発掘をしたんです。なかなか見つからなかったのですが、1922年11月4日、ついに王墓の下に入っていく階段を見つけ、とうとう未盗掘の王墓を見つけたのです。そして、お金を出してくれたカーナボンというイギリスの貴族に電報を打つんです。
“谷にて素晴らしきもの発見。急ぎおいで乞う”
電報を打って待つこと約2週間、カーナボン卿が船でイギリスからエジプトにやってきて発掘を始めたところ2000点あまりの素晴らしい黄金、ざくざくの宝が見つかったという話です。
ツタンカーメンも素晴らしいけど、それを執念で見つけたハワード・カーターも本当に素晴らしいです。今、このようなことが起きたとしても素晴らしいなあと思いますね。
私も、そういう人になりたいと思っています。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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