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「貴族の家で開かれた宴会」
(ルクソール西岸、ナクト墓) |
古代エジプト 新王国時代の貴族たち、2回目は「貴族の日常」です。
前回お話したように、貴族というのは土地を持っている人ですね。土地を持っていない人とはその土地にくっついている農民。あと、貴族と農民の中間の人です。
貴族というのは全人口の0.001%ぐらいです。99%ぐらいは農民なんですね。
0.001%。その上土地を持っている。そこでできたものの半分を王様に税として渡し、残りの半分のうちの半分、つまり4分の1をの自分のものとして、あとを農民に与えていましたから、貴族は優雅なんです。
優雅で、毎日宴会をやっていました。今日は誰それさんちで宴会があるというと、その友達が全員集まってパーティを開くわけです。当然奥さんも、子供たちも行って、毎晩毎晩宴会をやる。このことは貴族の墓の中にもずーっと書かれています。どんな貴族でも、宴会の図がない人はいないほど、よほど宴会が好きだったんですね。
当時は電気がありません。ランプの生活でしたが、そのランプの油ももったいないということで、薄暮、夕暮れよりちょっと前から皆集まって宴会をやった。そして日が沈んでも、まだ足元が明るいうちに帰るわけです。そして家で飲み直したりちょっとお茶など飲んで寝る、そして夜明けと共に起きる。という生活でした。
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「フレアスカートをまとった女性」
(ルクソール西岸、ハシュドゥ墓) |
また、ファッションもなかなか派手で、外国(西アジアなどから人が来ますよね)のファッションを取り入れたりしていました。一番最初に、力のある人…総理大臣とか、建設大臣といった人たちが取り入れて着て、奥さんに着せたりもしていました。一番はやってるファッションは偉い人が着たということですね。我々が知っているものではフレアスカート。男の人もスカートをはいてたんですよ。ぴしーっと糊をきかせ、くしゃっとならないように中に木とか針金をいれて形を作って、堂々と立つなんてこともありました。
貴族っていうのは、今では考えられないようなぜいたくなことをしたんです。しかし面白いのは、当時、自動車の代わりにロバに乗っていたんですが、最新のファッションに身を固めた奥さんがしゃなしゃな行きながらロバに乗るなんて、なんか滑稽ですよね。そして、今の時代、運転手さんがご主人を待つように、ロバ使いも宴会が終わるのを外で待っていました。そして運転手さんたちが料亭のパーキングで世間話をするようにロバ使いたちも世間話をしていたようです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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