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「軍人から王になったラムセスI世(中央)」
(ルクソール西岸、ラムセスI世墓) |
今回は「古代エジプト 新王国時代の貴族たち」をテーマにお話してまいります。その1回目は「貴族に関する基礎知識」についてお話しましょう。
貴族…。非常にわかりにくいですよね。古代エジプトには「男爵」とかいった位があったわけではなく、我々が単に「貴族」と呼んでいるだけなんです。そういう位があって、その位につくために伝統的な階級社会があったと誤解されている方も多いようですが、当時は貴族という階級はありませんでした。私たちが貴族と呼んでいるのはすべて「土地持ち」、ランドオーナーのことです。中世の荘園領主みたいなものを想定しています。
貴族及びその家族、親族たちがエジプトを治めているというか、エジプトの中心となって行政などを行ってまして、その貴族の中から力のある人…非常にリッチだとか、位が高いとか、戦争が強いといった特出した力のある人が“ファラオ”と呼ばれる王になるわけです。つまり、ファラオも貴族のひとりなんですね。
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「縄張りをして検地を行う役人」
(ルクソール西岸、メンナ墓) |
ひとたび王族ができ上がると、王族の知り合い――兄弟とか、親類とか、仲のよい友達がエジプト全土の土地を分け合うわけです。ですから16王朝と17王朝は実は非常に過酷で、16王朝で貴族だった人が、17、18王朝で貴族になれるかというとそうではない。たまたま17、18王朝の王族の血統と知り合いなら貴族であり続けられるけどそうでなければ土地を取上げられちゃったりということがありました。
毎年ナイル川が氾濫して、わからなくなってしまうので土地台帳がちゃんとありました。台帳は王が持っていて、気に入らない人はそこから追い出し、他の人にあげちゃうなんてことも起こり、貴族は絶えず入れ替わっているというのが事実のようです。
日本人の感覚ですと、貴族といったら代々…300年とか、500年とか続いている、いわば公家のようなイメージがありますが実はそうではなく、その時々の王の一族、知り合いが土地を分けてもらってその瞬間から貴族になるということなんですね。
そして貴族は土地から出た全ての生産品を自分のものにできました。土地には農民がついてましたから農民を働かせたわけです。
人つきの土地を王からもらい、そこを支配する人を「貴族」と呼ぶのです。
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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