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「クレオパトラ」
(デンデラ・ハトホル神殿) |
クレオパトラ。この名前を知らない人はいませんよね。私の知り合いの中に「私はクレオパトラの生まれ変わりだ」なんて言ってる人がいます。(この考え方にはちょっとついていけませんが。)
実際には今もエジプトでは、石鹸や香水、タバコなどにクレオパトラという名前がついていて“クレオパトラはエジプトの誇りだ!”、“クレオパトラは美人の代表だ!”と言っています。しかし実はクレオパトラはエジプト人ではないんですね。ギリシャ人なんです。ギリシャ北部のマケドニアの出身でアレキサンダー大王の末裔です。
エジプトではプトレマイオス王家には7人、「クレオパトラ」という名の人がいます。われわれが一般に知るクレオパトラは7番目の人です。
クレオパトラのすごさというと、敵であったローマ人から見ても優れている。政治家としても優れているし策略家としてもすぐれていた。そして度胸があり、サービス精神も旺盛な人だった。いろんなことをやっていました。 |
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「クレオパトラIII世像」
(グレコ・ローマン博物館蔵) |
カエサルに会う時、じゅうたんに包まれ、敵兵をたぶらかして王宮に入った。そしてぱっと出たときに、カエサルはその美しさにびっくりしたと言われています。(でもまあよく考えてみると、王宮は真っ暗ですし、夜入ったわけですから美しさなんてわかるわけないですよね。おそらく、真っ暗なところへ誰か出てきたのでカエサルは驚いて慌てて剣に手をかけたというところだろうと思うんですけれど。そのあたりが物語というところなんでしょう)
クレオパトラの父のプトレマイオス12世というのは飲んだくれで国をローマに売り、そのお金で飲んでたというほどの、いってしまえば「穀つぶし」だったので、そのつぶれかけたエジプトを建て直すために頑張ったわけです。そのおかげでエジプトは一時立ち直るんですね。その後見人にローマのカエサルをつけたんですが、クレオパトラがあまりに頭がよかったために、カエサルは、一緒に世界帝国を作ろうと思っちゃった。これが、カエサルが暗殺され「ブルータス、お前もか」といった名セリフの背景なんです。
そのくらい頭がよく、国家経営の才能があった。しかもビジョンが広く、「ローマなんて小さいこと言ってなくて世界帝国を作りましょう」といったほどの人なんです。ですから、クレオパトラに対して、「美しい」というだけの認識で考えていてはいけないんだと思います。
最後まで頑張ったんですがローマの力が強くなり、クレオパトラ、エジプトを必要としなくなったオクタビアヌスによって自殺に追い込まれ、古代エジプトの王朝時代の幕は下りることになります。そしていよいよエジプトはローマの支配下となり、ローマの繁栄はエジプトの富を吸収し、というか略奪して、自分たちの軍隊を大きくしたりして、栄光を得たのですが、古代エジプトはなんと3000年。一方ローマはたった300年ですからね。やっぱりクレオパラの頑張りはすごかったんだな、と思います。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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