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「ハトシェプスト女王像頭部」
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
古代エジプト女王特集、2回目はハトシェプスト女王についてお話しましょう。
ハトシェプスト…。言いにくいですね。しかしこの人はすごい人です。どうすごいかといいますと、古代エジプトでは200人ぐらいファラオがわかっているんですが、そのほとんどが男性。古代エジプトではファラオは男性で王位継承権を持つのは第1王女となっていたんですね。ところがハトシェプスト女王は第1王女であり、王妃であり、ファラオでもあったんです。
トトメスIII世の義理の母であり、ゆくゆくは…正確にはわからないのですが、妻になったといわれています。そしてトトメスIII世によって王位を奪われてしまったという、大変複雑な人生を送ったのがハトシェプスト女王です。
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「ハトシェプスト女王葬祭殿」
(ルクソール西岸) |
今から3500年程前、第18王朝といわれる時代のエジプトの話では、トトメスII世が余りに早く亡くなったため、トトメスIII世が幼い時、8歳とか9歳とかいった時に王になったんですね。いくら早熟な時代といえ、8歳や9歳では王とは何ぞや、とか、政治がなんだとか、経済がどうだということはわからないのでハトシェプストが摂政として立つわけです。そうしてほとんど自分で政治をし、トトメスIII世を即位わずか2年目で排除し、軍隊に入れてしまい、自分が王のような格好をして振舞っていました。ハトシェプスト女王は女王なのにつけ髭をつけ、トトメスIII世とほとんど同じような格好で摂政をして約20年間、王だったんです。
しかし、即位22年目でなぜか歴史から、ぱっと消えてしまう。一番最後の記録は、シナイ半島に青銅の材料を取りに行かせた時に出した交易隊…遠征隊について。シナイ半島で書かれているものなんですが、それが帰ってきてからどうした、というようなことはわからないんですね。この間、どういうことがあったのかはわからないんです。
即位の最後の方ではトトメスIII世の妃にもなっています。トトメスIII世が成人になったので、あなたが王様をやりなさいという、義理の母親の優しさのようかもしれません。
実の娘もその2年前に亡くなっていますので、傷心のまま歴史から消えてしまったということでしょう。
古代エジプト女王の中で唯一王になった人です |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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