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吉村作治 エジプト博物館
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第1回 「ピラミッド建造の不思議」 11/3〜
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今回は「ピラミッドの造り方」についてお話しようと思います。その第1回目は「ピラミッド建造の不思議」です。
ピラミッド…。一体どうやって造ったのか、その技術ですね。技術というのは、その技術を必要とする社会が必要なわけです。つまり、成熟した社会がなければ、技術というものは成り立ちません。こういうことを考えると謎が深いんですね。
不思議なことに、ピラミッドについては何も記録が残っていないんです。極端なことをいうと、「証拠ゼロ」というところです。しかしあの、高さ147mのピラミッドは、ドーンと目の前で「さあ、解くなら解いてみろ」といってるように見えます。
謎をたぐっていきますと、まず、ピラミッドがあるのは全部西側の地域です。西側の方があの世に向かっているからだと皆さんおっしゃっているのですが、ピラミッドが固まって造られている、カイロの周辺200キロあたりは実は岩盤がしっかりしているんです。確かに来世思想、日の沈む向こう側にあの世があるということがあっても、それだけの理由で造れるわけでもありません。その証拠に、東側にはお墓があるんです。しかし、ピラミッドはナイル川の東側にはひとつもない。ということは、“岩盤”が非常に重要であるということです。
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古代エジプト人は哲学、思想というのを重要視していましたがそれ以上に、壊れない、崩れないということを考えていたということです。ですから、毎年7月から10月までの4ヶ月間、ナイル川が氾濫して水が上がってきても冠水しないところにピラミッドを造っています。岩盤がよくて、なおかつナイル川が最大に氾濫しても水がいかないところです。
古代エジプト人は東側にいい石があったらその石を西側に運んでいました。もし、東側にいい岩盤とそこに適当な高さがあれば、わざわざ西側に運んだりしないで、東側に造ったでしょうね。でも、東側は山が高いんです。高すぎちゃってそこに造っても余り効果がない。かえって不自然だということで、西側に造っていたんです。しかも、ピラミッドを造るにあたっては、ナイル川の氾濫で農地を失い働けない時、人々の働く場をつくるという意味もあったんです。
今から4650年前の、一番古い階段ピラミッドから始まって、約1000年間、ピラミッドを造り続けたのです。それも、ただ単に造ってみんなでながめて「よかったなー」というだけじゃなく、そこには生活があり、人々の考えがあった。しかも技術がすごく進んでいたということがわかるわけです。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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